2006年2月11日 (土)

終わりに

死とはなにかという問いかけに多くの人が有益な言葉を残しています。
死は人が生まれると同時に始まる人生の延長線上にあり どう生きたかの終着点 人生の卒業の時でもあります。
穏やかに人生を全うし まわりの方に惜しまれながら 彼岸に赴かれる方やそのご家族、時にはあまりにも早い死を迎え 突然の訪れになすすべもなく立ち往生してしまう人々もおられます。
死は本人はもとより 家族や友人 職場やその人に触れ合う多くの人々に少なからぬ影響を与えます。 
葬祭業に携わり 日常死と近い距離に身を置くせいなのか 死はそれほど恐れたり話題を避ける「タブー」ではないと 常日頃感じています。
むしろ 死を身近に感じ 今をどう生きるかを 深く考えることは人生にとって また 家族や周りの人にとってとても有益なことだとすら考えています。
そして 愛する人を失ったご家族、 死を宣告され 事前にご相談にこられるご家族のことを考えます。
最後の時までご家族で支えあい多くの思い出作りをなさる方 残していく家族のことを思いやりご本人が事前に色々な準備をなさる方もいらっしゃいます。
 いづれにせよ 死について 事前に家族で話し合ったり 知識を事前に知っておくことは いつかは来るその時にどう対処したらよいのかの 有効な防衛策となり また 残される人々にとっても 明日に向かって生きてゆく大きな一助となるのではないでしょうか。
 色々なケースと触れ合うたびに有難い事だと感動し 温かい命の絆を学ばせていただきました。
日々の暮らしの中であうんの呼吸で何も言わなくても分かり合う方もおられるでしょうし また 日頃から話し合う習慣が身についておられる方、ご病気を契機に話し合うことをなさった方、いろいろなケースがあるでしょう。
ご家族の間 担当医や病院スタッフ 周りの人々 宗教家 と どう終末を有意義に過ごすのか 残された深い悲嘆の苦しみにどう向き合っていけばいいのか ・・・
知識を得ることは本当に重要なことだと思います。
最近は尊厳死やターミナルケア 残されたご家族のケースごとに 手助けや話し合いの場が インターネット上や さまざまな場所に設けられています。 
すぐ近所にとはいかないまでも 互いに支えあう場や支えとなるような書籍も多く出版されるようになりました。 
それらのほんの少しでも 紹介ができれば また 私どもで良ければ お話の相手になれればと思っています。
 このたびインターンシップを通して いっしょに学んだ学生やご協力をいただいた多くの皆様のご助力で 少しですが これらに触れ共に考える時間を持つことが出来たことは私にとっても 参加した学生にとっても大きな財産だと感じています。
一生懸命に生きて いつか 感謝の心で穏やかな死を迎えることができますように   
そして残された人々もまた感謝の気持を持ってすべてを受け入れ 穏やかに癒されていくことを・・・ 心から祈りました。

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看護実践:ターミナルケア

S氏とその愛すべきご家族の事例に学ぶ
H.4.3.28
実例紹介

 S氏は50才、化学工業系会社の技術管理者、公務員の妻と大学二年生の長女、高校一年生の長男と4人平和な家庭に恵まれ、誠実で温厚なキリスト教信徒であった。上肢、下肢に広範囲にわたる出血斑に本人が気付き受診、精密検査の結果「骨髄性白血病」と診断された。
 主治医、家族が話し合い、主治医の強い希望もあり病名告知せず「再生不良性貧血」ということで輸血を中心に治療をつづけながら社会生活を出来るだけ維持し、家族との生活を大切にすると言う方針に従い短期間の   入院を2度経て6年6ヶ月の日常生活をすごした。
 長女の結婚、第一子誕生、長男の大学卒業目前に、本人の身体的違和感が強くなり、再入院、輸血と栄養補給を中心に療養生活2ヶ月を過ごしたが、口内出血により、食事摂取も次第に不可能となり、血尿をみる頃は、血小板0、41℃の高熱持続と病状は最悪となった。この時知性豊かなS氏は牧師に「先生、もうひとつ命をいただきたい。」とつぶやいた。
 死に備える 死に生きるとはどういうことか、臨終の場面は決して病人の命を引き延ばすだけでなく、その人を愛する人々と共に“命の質”をどうするかを問われる時点では、看護婦、家族、や宗教家の果たす役割は大きい。
 家族はその時、愛する人のため耐える力を増し加え、彼の死を受容する準備をし一日、一日を大切に彼に仕えてゆく。信仰とはとこしえの いのち に連なることである。
 そしてその信仰は神のところに帰るという希望と病苦に耐える力、勇気を与えてくれる。
 彼は信仰によって死を受容する気持ちを持ち、最後に“ありがとう”の言葉を残して、天国に召された。医療の高度化に伴う肉体的治療にウエイトがおかれた医学の進歩に感謝はしていたが、今日の心のケアの足りなさを医療人や、家族に反省を求めたように強く感じた。
 医学教育や看護教育の中には、言葉の理論だけでなく、“生命の実態に触れる”より人間性を尊重した深さに触れる教育がなされなけばならないと、私は強く感じます。
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S-氏の生命のプロセス

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2005年12月12日 (月)

はじめに

このコーナーでは正面から死について 考えてみました。
9月に開催された講演会「笑って死ぬために」 を 皆で拝聴した後 6名での座談会で 公演内容や 身近な例をそれぞれあげながら 話し合う機会を持ちました。
家族とは生きるとは・・・ よりよく生きる事を支える行政や医療施設 スタッフ 宗教家に望むこと 地域のありよう 尊厳死やターミナルケア 残された人を支えるグリーフワークなどについて考えさせられる一日でした。 
人それぞれ性格や背景 感じ方や考え方も違います。とてもデリケートな問題で まわりもどう声をかければよいのやら 何からどうすればよいのやらとても思い悩んでしまう内容だと思います。

 ここでは 一例として 参加者田所様よりご提供いただいた実例を 以下に
S氏とその愛すべきご家族の事例に学ぶ
S氏の生命のプロセス

そして死に生きる (今振り返って・・・原稿をお願いして書いていただきました。本当にありがとうございました。)

として あげさせて頂きます。
この実例から そして 朝日俊彦先生のお話から 多くのヒントが得られる事と思います。
座談会から得られたことも多く、また話してみて自分達の勉強不足知識不足 視野の狭さなどを改めて感じましたが膝を交えて言葉にして話し合うことの重要性もまた強く感じました。

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